事実認定とは?

  • 2019/05/14
  • 宮本ブログ

中学生や高校生向けに事実認定のイメージを伝える際に使える資料がないかなと思っていろいろ探していたら、以下の2点を見つけました。

呉座勇一先生のエッセイ「史料を読むということ」に、以下のような記述がありました。

「拙著『陰謀の日本中世史』でも指摘したが,陰謀論を唱える在野の歴史研究家は,史料に書いてあることをきちんと読まずに,「史料に書いていないこと」に過剰な意味を求めがちだ。史料に書いてあることはきちんと読解しなくてはならないが,「史料に書いていないこと」については想像を好きなだけ膨らませることができるからだ。私たちは史料を介してしか歴史的事実を解明することはできない。この当たり前の真理を自覚しながら研究を進めることは,思ったより難しいのである。」

新谷学元週刊文春編集長に対するインタビュー記事(木村肇「なぜスクープを連発できるのか  新谷学・週刊文春編集長を直撃」)に、以下のような記述がありました。

「結局、さまざまな情報提供の中から、いかに世の中に問う価値があるネタをつかみ取るかが大事なんです。取材にとりかかった後は、情報を裏付けるエビデンス(根拠、証拠)があるのかを見極めていく。告発者がいる場合には、丁寧にやり取りをする過程で、証拠や動機を確認しながら、証言内容にブレがないかを精査していく。それらを総合して、「いける」と判断すれば、精鋭部隊を投入して、一気に「詰め」にかかる。週刊文春はそんな作業をコツコツと毎週続けているのです。スクープの起点はあくまでもファクト(事実)です。」、「相変わらず右だとか左だとかイデオロギーで色分けする傾向がありますが、イデオロギーが前面に出てしまうとグレーのものが白く見えたり、黒く見えたりする。うちはイデオロギーよりリアリズム。「ファクトの前では謙虚たれ」とよく現場には言うのですが、やはりあくまでもファクトで武装して戦うべきだと思うんです。」、「かつて警察庁長官だった人と食事をしたとき、冤罪の話になったんです。なぜ冤罪が多いのかと尋ねたら、彼は「白くする捜査をしてないからだ」と答えた。捜査の現場はつねに相手がクロだと思って、黒くする捜査をする。すると、相手がシロである証拠が目に入らなくなる。そこで「白ではないか」という視点のもとでもう一度捜査をし直すと、見落としていた被疑者がシロである証拠、これを「消極証拠」と言うんですが、それが浮かび上がってくることがあるんだそうです。だから「白くする捜査」を怠ってはいけないと。私はこれはいい言葉だと感動して、現場にもよく言ってるんです。「白くする取材をしろ」と。思い込みが強すぎたり、功を焦ったり、上からのプレッシャーがきつすぎると、「ガセかもしれない」と疑う芽を見逃してしまう。「黒」と「白」の「複眼」をもつということが大切なんです。噂に毛が生えた程度の裏付けでは絶対に書かないし、「裁判で勝てる」だけの取材を重ねる。「事実はこうに違いない」ではない。「事実はこうだ」と言い切れるまで取材を尽くすということです。」

どちらも文章全体はそれほど長くもなく、中学生、高校生でも読みやすい内容かなとは思うのですが、いかかでしょうか。

(今回、本当は別の内容を書こうと前々から決めていたのですが、事務所の引越しやら、GWやらで忘れてしまいました。)